10年以上前の記憶
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
僕は、基本的にほとんどの過去を記憶から消している。
それは、今の自分でいるための方法なのかもしれない。いつも新しいことを求めて、過去をリセットしてきた僕にとっては、それが当たり前なことだった。
先日、なーちゃんとの会話で、「付き合った人の名前を憶えてないって本当?」みたいなことを話した。
真面目に記憶にない。何人かは名前がわかる人もいるが、微妙なことがあった人さえも出来事は憶えていても、名前はわからなくなっている。
その点で言えば、なーちゃんのことは忘れずに、むしろ探そうとするくらいに記憶していたのだから、特別な存在だったということだ。
だから、今、こうして毎日会話できていることを嬉しく、そして幸せに思う。
ここから十年、二十年たって、記憶に残っているあの日、と言われたら、それは再会したときのことになるかもしれない。僕は、いつも、なーちゃんと久し振りに会話するたびに、胸が高まり、どきどきする。それがいつもの僕っていうふうに、なーちゃんに映るのかもしれない。
さて、「記憶に残っている、あの日」だが、すっかりそういうことを書くことを忘れていて、電話で楽しみにしていると言われて思い出すくらいな状態だったが、楽しみにしていると言われてしまったからには、書こうと思う。
なーちゃんが書いたあの日の僕の話ということだ。
当時の僕は、いつも何かに追われるように、いつも完璧じゃないと気が済まなかったんだと思う。ひとつのミスも自分には許すことができなくて、失敗するごとに自分自身を罰するような生き方だった。
これは、迷惑をかけるのは良くないこと、という幼少期からの暗示だったのかもしれない。
迷惑をかけるくらいなら、生きていることさえも必要ない、というのが、当時の僕の考え方だった。たとえ、それが色々な人には許されるような小さなことでも、そういうことも含めて周りの人が僕を必要としていても、僕には許せなかった。
そこから、僕は、常に完璧な自分であることの限界を感じ、そのうちに何か失敗をするだろう、と考えるようになった。失敗をするということは、僕にとっては生きることができない状態だ。極論、というか、極端だったから、そう考えたのだろう。
周りは、僕に対して、もっとできると言っているようだった。もっと完璧で、もっとうまく、もっとみんなのために。
そういう生活を続けているうちに、僕は僕を見失ってしまった。
もはや、僕には何も必要なくて、それは僕以外の誰かでも、何か物とかだけじゃなくて、僕自身も、必要なものには感じられなくなっていた。
僕の代わりはいくらでもいる。
僕はどこにでもいる。
僕じゃなくてもいい。
それどころか、僕がいることで、みんな何もしなくなっているようだ。
僕は、誰かの何かを奪っている。
僕の世界は歪み、僕は僕自身が過ごしやすくするために、行動して、それが僕自身を苦しめる結果になったらしい。
我が儘だ。
今思えば、そのひとことがすごく似合っている。
だけれど、当時の僕は、その我が儘で満ちていて、それで、何もかも捨てて、何もなくなった僕自身も捨てることにした。
今でも鮮明に憶えている。僕は朝3時に出社して、他のみんなが来てすぐに仕事ができるように準備をした。消える直前までそういうことをしようとするのが、いかにも自分らしい行動だ。通常他のみんなが出社するのが6時半すぎくらいだった。僕はそれまでに準備をするようにしていた。ただ、僕は、この日どこかに消えることにしていた。2時間ほど仕事をして、5時になり、僕は、諦めた。完璧な準備をするには、まだ少し時間がかかりそうだったが、それよりも、自分自身が決めた計画を実行することにした。
社用車の鍵と、会社の鍵、そして書置きをして、僕は用意した荷物を持って、駅に向かった。どこに行くとか考えていない。早朝に終わる居酒屋のバイトや社員が僕を不思議そうに見ている。知った顏だったが、僕は気にしなかった。
さっさといなくなろう。
僕にはそれだけだった。
完璧にはほど遠かったけれど、僕の物語はひとつここで終了したと言える。
地方電車を使うことにした。
東に行こうか西に行こうか、少し迷った。
好きな人に近づけるから東に向かうことにした。
とてもシンプルな理由だ。
どうせ終わるなら、本当に好きな人に少しだけでも近づきたかった。
つづく。
ひ。