忘れられない人
なーちゃんから十五年振りくらいに連絡が来たのが、五月三日。
僕にとっては、なーちゃんが忘れることができない存在で、あの頃もなーちゃんが来てくれるのを待っていたように思えるし、それは今も変わらなかったようだ。
休みの日は、僕は、なーちゃんからの連絡を待っている。
再会する前も、あの頃も、なーちゃんから連絡が来るのかわからないまま、待っていた。僕には何も手段がなかったのだろう。
こうして連絡を待っていると、当時を思い出す。
連絡がなかったら、
このままいなくなったら、
そんなことを考えていた。
なーちゃんは、あのころ、今も、何も変わらずに現れる。
僕の不安とか心配とか、そんなことはありえないことだよ、と言っているように感じた。
あの頃と違って、今は、なーちゃんから連絡が来ないかもしれないと思って待つことはなくなった。何時くらいに連絡が来るかなとか、今日も時間通りに電話できるとか、なーちゃんがこれからもずっと一緒にいてくれると思っている。
僕は、なーちゃんが一緒にいてくれるということで、夢のように幸せだ。
生きていると、
忘れようとしても忘れられない人がいる。
僕にとって、それはとても苦しいことだったように思える。
居ない人を忘れられない。忘れるために色々としてみたが、ただ何もないだけだった。
忘れられないものは仕方ない。
僕は、そう思った。
忘れられないものを無理に忘れようとしても、なかなかできるものではない。
こうして今を過ごしていると、忘れようとしていたことさえも自分に対してバカバカしい行動だったと思える。
忘れる必要がなかったし、忘れられなかったから今がある。
男は未練がましい、ということを何かで読んだ記憶がある。
僕は、未練というよりも、我ながら、ほぼ記憶喪失じゃないのかというレベルで、覚えていない。たぶん道ですれ違っても、わからないだろう。そこには忘れようとかいう概念はない。忘れなきゃとかいうことも考えたことがない。
なーちゃんに対しての想いとは、まったく違うものだ。
だから、なーちゃんとの恋愛は幸せでもあり、苦しさもあったりもする。それは、本当に、僕がなーちゃんを好きだから、ということだと思う。
こうしてみると、僕は、なーちゃんのことをどこまでも忘れられないだろうと思う。おそらく地縛霊になってさまようくらいに、忘れられないのではなかろうか(笑)。
僕は、僕の経験でしか物事を語ることはできないけれど、
忘れられない人がいるってことは、
僕自身が思うに、
すごく幸せなことだ
と思う。
報われる報われないというのは結果でしかなく、
そういう想いを抱けるくらいな存在が、
この短い人生の中でいることが
すごく幸せな人生だって言えるんじゃないかな。
だから、もしどこぞの誰かさんが、忘れられない存在がいるとしたら、
無理に忘れようとする必要はないよ
って言ってあげたいね。
僕自身、こうして再会する前に、
なーちゃんのことを考えて、
なーちゃんのためにできることは何だろうって、そんなことを考えて、
自分自身の生き方を見直したくらいだから。
僕は、今、本当に思うよ。
忘れられない人がいて良かった、って。
その忘れられない存在が、なーちゃんで良かった、って。
そういうことを、心から思います。
あてもなく書いているから、いつも通り支離滅裂(笑)。
では、なーちゃんからの連絡待ちします(*´ω`)。
そして、なーちゃんを笑顔にできたらいいなって思ってます(*´ω`)。
ではでは。
ひ。